【2】萩市の町並み保存■■■

萩市まちなみ対策課
課長 弘 健助

萩市は、山口県北部、日本海に注ぐ阿武川河口の三角州に、1604年に毛利輝元が築造した城下町です。
幕末には、吉田松陰や高杉晋作等の志士を輩出し、明治維新を成し遂げた町です。
維新後は、上級・中級武士は東京や山口に出て、新政府の役人となったので、旧三の丸の上級武家地にはその家臣が残るだけとなりました。
その後、廃藩置県により俸禄を失った家臣達は生活に困窮し、主人が住んでいた主屋を取り壊し、そこに夏みかんを栽培し、実を大阪に出荷することで生計を立てるようになりました。
そのため、旧三の丸の武家地は、土塀に囲まれた夏みかん畑となり、その姿が昭和30年代の高度経済成長期まで続くことになります。

萩市は平地も少なく、僻地にあるため主要な交通網からも離れており、外部からの商工業の進出は殆どなく、農水産業や歴史的資源を活用した観光業、萩焼製造等を主な産業としました。
特に、城下町や明治維新の歴史の跡、美しい自然を資源とした観光業には官民挙げて力を入れました。

高度経済成長期になると、全国から観光客が訪れるようになり、観光都市として大いに発展していきましたが、一方では土塀や武家屋敷を壊してホテルや土産物店が建つなど、折角の歴史的資源を損なう事態も起こりました。また、核家族化により夏みかん畑を宅地造成することも事態に拍車を掛けました。

このような姿に危機感を覚えた市が、土塀や武家屋敷を守るために昭和47年に制定したのが「萩市歴史的景観保存条例」であり、これが萩市の町並み保存の始まりです。
これは、旧三の丸(「堀内」)や中下級武家地の「平安古」、江戸期の運河「藍場川」周辺等7箇所を保存地区に指定し、地区内での宅地造成や建物建築等の現状変更行為を届出制にし、事前に市と協議することを主な内容にしたものです。

このような条例は全国の歴史的都市でも制定されつつあり、昭和43年の金沢市、倉敷市に次いで、昭和47年には萩市のほかに京都市、高山市も制定しました。
この条例により、保存地区内での土塀開削は格段に少なくなり、また、洋風な建物の建築も阻止されるようになりました。

地方の町並み保存の動きは国をも動かせ、昭和50年には文化財保護法が改正され、歴史的町並みが文化財の一つとなり、それを守る制度として「伝統的建造物群保存地区(伝建地区)」が創設されました。
早速、萩市は「堀内」「平安古」の2地区を全国で最初の「伝建地区」に指定し、法律の担保を得て保存を強化することになりました。
全国で同時に伝建地区になったのは、合掌造り集落の「白川村」、中山道の宿場町「妻後宿」、京都市の茶屋町「祇園新橋」等5地区でした。
このように、市民と共に歴史的町並み保存を進め、一定の成果は上がってきました。

しかし、昭和60年代になると三角州内に10階建てマンションやホテル、派手なパチンコ店ができるなど、空が広く見え、整っていた市街地が、だんだん無秩序になり始めました。

市は、このままでは落着きや懐かしさを憶える歴史都市「萩」の町並みが崩れると考え、市域全域の景観に配慮できるよう、「萩市歴史的景観保存条例」を発展的に改編し、「萩市都市景観条例」に作り変えました。
この条例では、都市計画区域全域で大規模建築物の届出を義務付け、事前協議をするようにしました。

現在では、毎年建物で20数件、広告物も10件程度が届出がされ、高さや色彩を抑えるように指導しています。また、平成9年には都市景観基本計画を策定し、平成13年には江戸期の町家が残る「浜崎」を萩市で3つ目の伝建地区に指定し、平成11年、同15年には1箇所ずつ都市景観形成地区を指定しました。

現在、条例に基づく届出は、伝建地区の現状変更を含めて年間90件前後となり、施主との度重なる交渉、協議により、景観に配慮した建築等となるように指導、助言、許可をしています。

平成16年12月に景観法が一部施行されるや、萩市は全国で10番目、中国四国地方では最初の景観行政団体となりました。
現在、景観計画策定、屋外広告物条例制定、景観条例改正を進めており、それぞれ19年度からの運用開始を目指しています。

このような取組みにも拘わらず、歴史的町並み破壊の危惧は少なくならず、土塀の開削、歴史的建物の取壊し、高層建物新築計画は後を絶ちません。
「堀内」では土塀に囲まれた夏みかん畑の宅地造成が進み、「浜崎」では空家の伝統的建造物が取り壊されました。
三角州中心部に10階建てマンションを建築したいとの話を受けては、それは萩市には相応しくないとその都度中止を求めてきました。

商業の発展を考えれば、土地の高度利用が必要なのは理解できますが、そのために心の故郷とも言える歴史的町並みを失うことは、大きな損失になります。
このことを、より多くの市民や事業者に訴えていく必要があると、現在しみじみと思っているところです。

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