倉吉市は、古くから伯耆の国の中心として政治、経済、文化、交通の要衝として発展した城下町である。特に、市の中心部を流れる玉川沿いの本町通り打吹地区は、商家が建ち並び、市の商業の中心として栄えてきたところである。 |
家並の多くは、いわゆる店舗併用住宅で、主屋はほとんど平入り。玉川沿いに面して町家裏の土蔵群が建ち並び、特に、南側の土蔵群は裏門倉、奥座敷、醸造倉となっている。各戸の裏口から玉川に石橋がかけられ、玉川と石積と土蔵群が倉吉独特の景観を保持、形成している。 |
この玉川沿いの土蔵群の町並みを修復保存するため、市民の手により「古い町並み保存会」が発足、市民の寄付、市の補助金などによって、昭和59年度から2ヵ年にわたり、しっくい壁、焼杉板、石橋、石積みなどの修復が行われた。 |
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