シリーズ (2) 平和大通り

国際平和都市・広島のシンボルロード〈街並みの形成とにぎわいの創出〉
【昭和34年頃】
防火地帯から復興事業へ
戦時中、空襲に備えて幅100mの防火地帯を設けようと、動員された人々により東は鶴見橋、西は小網町一帯にかけて家屋の取り壊しが進められました。これが平和大通りの原形です。戦後、爆心地の中島地区を公園とし、復興計画のもとに東西に広島デルタを貫く道路の建設が着工。昭和32〜33年には沿道に樹木を植える供木運動も行われました。当時の写真には、まだ舗装されていない道の様子が写し出されています。
昭和34年、平和大通りを中島町付近から東にのぞむ
昭和34年、平和大通りを中島町付近から東にのぞむ
広島市公文書館蔵
【現在】
人々が集い憩う大通り
東西約3km幅員100mの大通りが全通したのは、昭和40年。その後さらに時を重ね、現在の豊かな緑陰が潤いを与え、高層ビル群が沿道に連なる景観へと様子を変えていきました。毎年のゴールデンウィークには、通りはイベントの場に早変わり。昭和52年から始まった「ひろしまフラワーフェスティバル」の会場となり、パレードなどが繰り広げられます。廃虚から生まれた道は今、国際平和都市のシンボルとして人々の憩いの場ともなっています。
現在の平和大通り
現在の平和大通り



 国際平和都市のシンボルとして進化を続ける道
国土交通省(旧・建設省)が昭和61年に発表した「日本の道百選」にも選ばれている平和大通り。今も広島の顔として、市民そして広島を訪れる世界中の人々にとっての憩い・交流の場となっており、ここ約30年の入込観光客の数は倍増しています。平和大通りは広島のシンボルロードとして、これからも変化を遂げていきます。
位地図 広島市の入込観光客数の推移

◎お問い合わせは:国土交通省中国地方整備局
  TEL:082-221-9231
  ホームページアドレス http://www.cgr.mlit.go.jp/
  
  *道路は、ガソリン税や重量税などの 道路特定財源でつくられています。

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