〜都につながるみち、信仰のみち〜
◎天平古道(てんぴょうこどう)
奈良時代につくられた幅(はば)6m長さ486mのみちで、砂利(じゃり)がひかれまっすぐにできていました。
◎伯耆国府跡(ほうきこくふあと)
伯耆の国の中心は今の倉吉市(くらよしし)にあり、ほかの町からここにむかってみちがつくられました。
◎三徳山(みとくさん)
三徳山には全国からたくさんの修験者(しゅげんじゃ)があつまりました。
このころの道は中国(当時は隋(ずい)・唐(とう)と呼ばれていました)にあるそれぞれの町を真っすくにむすぶようにつくられたみちの形になら
って、伯耆(ほうき)の国の中心だった倉吉(くらよし)を通るように道がつくられました。都(みやこ)からの命令(めいれい)を伝えたり、都に納(おさ)める荷物を運んだりするのに使われました。また修行(しゅぎょう)をするために三徳山(みとくさん)や大山(だいせん)に向かう人たちが全国から歩いて向かうのに、このあたりの道を使っていました。