(1)流域及び河川の概要(3/4)

 天神川は支川の小鴨川・国府川と時代とともに洪水による分流、合流を繰り返し、下流部ではさまざまに流れを変えながら日本海に注いでいたと言われている。 天神川における大規模な河川工事のはじまりは江戸時代からと言われており、元文年間(1736年から1741年)に河口開削工事が行われ、 真直に日本海に流出する現在の河道となっている。当時の城下町は天神川と小鴨川が合流する付近に広がっており、西からの小鴨川と 東からの天神川の洪水被害を頻繁に受けていた。そのため、市街地を洪水から守るために「千人破戸」、「長門土手」などの幾多の堤防が築かれた。

 天神川の改修工事は昭和9年9月の室戸台風による大水害を契機として開始された。当初の改修計画はこの室戸台風の実績流量をもとに計画したものであり、 天神川本川の計画高水流量を3,500m3/sとした。この計画では既設堤防の拡築、新設堤防の設置、護岸・水制工の設置による堤防の増強と 河床掘削を行うものであった。その後、上記計画に準じて改修工事が進められており、昭和43年に当初の計画高水流量を踏襲した 工事実施基本計画が策定され、築堤、河床掘削等を実施している。
室戸台風被害の様子(倉吉町役場前にある元帥酒造角)
室戸台風被害の様子
(倉吉町役場前にある元帥酒造角)


台風10号による被害の様子(三朝町曹源寺)
台風10号による被害の様子
(三朝町曹源寺)
(クリックで拡大します)

 砂防事業については、上流からの土砂の発生を抑えるために、昭和9年9月の室戸台風による洪水・土石流災害を契機として、昭和11年に天神川上流部、 小鴨川上流部、三徳川が直轄砂防区域の指定を受け、昭和11年から小鴨川筋において砂防堰堤の整備が進められている。その後、 平成10年10月台風10号による天神川上流域(三朝町)の被害を鑑み、平成13年から三朝町においても直轄砂防事業を実施している。

<<前のページ(2/4)へ | 次のページ(4/4)へ>>

天神川水系河川整備基本方針ページへ戻る | トップページへ戻る