現在の倉吉及び周辺の地形がほぼ形作られたのは、今から1万年以上前だといわれています。

 その後、天神川(てんじんかわ)の流す土砂の堆積(たいせき)により三角州(さんかくす)北条(ほうじょう)平野、羽合(はわい)平野)が形成されました。しかし、川は度々の氾濫(はんらん)により河道を変えながら三角州(さんかくす)を形成し、現在のようになりました。

 天神川(てんじんかわ)は度々の氾濫(はんらん)で河道を変えていましたが、最も古い図では天神川(てんじんかわ)本川(ほんせん)(旧竹田川(たけだがわ))と小鴨川(おがもがわ)国府川(こうがわ)とは全く別の川として描かれています。以後河道を変えながら度々きましたが、1544(天文(てんもん)13)年の洪水は小鴨川(おがもがわ)の河道を大きく変えました。それまで天神野(てんじんの)の方に流れていた小鴨川(おがもがわ)が、八幡山(はちまんさん)から西方に伸びていた山の鞍部(あんぶ)を突破し、国府川(こうがわ)に当たって東に流れ、現在の倉吉市田内(たうち)に有った集落を押し流してしまいました。

 天神川(てんじんかわ)は、小鴨川(おがもがわ)国府川(こうがわ)と時代により分流と合流をくり返し、下流部ではさまざまに流れを変えながら日本海に注いでいました。そして元文(げんぶん)年間(1736〜41)に河口開削(かこうかいさく)工事が行われ、直接日本海に流入する現在の河道となりました。この工事によって、永年、住民を苦しめてきた河道変遷(へんせん)は終わり、現在に至っています。