打吹山(森林浴の森百選・打吹城) | |||||||||||||||||||||
所在地 | 倉吉市仲ノ町(打吹公園)(案内図はこちら) | ||||||||||||||||||||
打吹山 打吹山(標高204m)は、自然に近い姿で残されている原生林で、シイ・シラカシなどの 照葉樹で全山がおおわれた、きわめて貴重な山です。 ふもとの打吹公園は、桜、ツツジ、椿の名所です。山頂には城跡が中腹には天台宗の長谷寺、 また、公園内には博物館、日本一清潔なトイレ、スポーツ施設などがあります。 打吹山は、昭和61年に「森林浴の森日本百選」に選定され、日本を代表する森林浴の森 になりました。(現地看板から転記) |
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打吹山伝説 むかし、むかし、この山のふもとに天女が舞い降り、水浴びをしていました。ところが、 天女は、農夫に羽衣をうばわれ、帰れなくなってしまいました。天女はその農夫と結婚し、 二人の子どもを生みました。そして何年かたったある日、羽衣を探し出し、山のふもとの 井戸から、天に帰って行きました。 残された二人の子どもたちは悲しみ、母が音楽を好んでいたので、山の上に登り、鼓を 打ち笛を吹いて母を呼びました。このことから、いつしか人々は、この山を打吹山と呼ぶ ようになったということです。(現地看板から転記) |
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打吹城の由来 打吹城は南北朝時代、いまより約610年前、山名伊豆守時氏が中国地方5ヶ国の太守として、 市内田内に居城したが、その子師義にいたり延文年中(1358〜1360)田内城をすて て、ここに居城したといわれている。中央や中国地方における山名氏の勢力から推せば山名 氏200年間相当な城郭が構えられていたとみられる。江戸時代の初期、すなわち元和元年 (1615)一国一城令により打吹城は廃され、山ろくに家老荒尾志摩守の陣屋を置き、そ の周囲に武家屋敷、職人町、商人町が配された。 竹田、小鴨の両川には要害のため久しく橋を架けることを本体としたようである。 打吹山(標高208米)には本丸をはじめとして、時代により、守護者により、いろいろ 地形を利用し、あるいはおしならし多様な縄張りが営まれたようで、いまでも、本丸(東北 隅に天守閣跡)、備前丸(南條備前守元信の拠点)、越中丸(南條の臣山田越中守拠点)、 小鴨丸(小鴨左衛門尉元清拠点)、南條屋敷(いまの鎮霊神社) 打吹城はこのように歴史をはぐくんできた。(現地看板から転記) |
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