田内(たうち)城址(じょうし)
所在地ショザイチ 倉吉市クラヨシシ田内タウチ案内図はこちら
  田内タウチジョウイマること650ネン山名ヤマナトキウジコウ(1299〜1371)ヤク20年間ネンカン居城キョジョウであった。山名ヤマナコウは清
源氏ゲンジ名流メイリュウで、上野ウエノクニグン山名ヤマナ(群馬県グンマケン高崎市タカサキシ山名ヤマナチョウ)の出身シュッシンで、全国ゼンコク66ヶコクのうち12ヶコク
リョウし、6フンの1殿トノショウせられるほどの隆盛リュウセイをみた南北朝ナンボクチョウ時代ジダイ知勇チユウ兼備ケンビ武将ブショウで、サムライショ長官チョウカンとし
幕府バクフにもオモきをなした。
  建武ケンム4ネン(1337)伯耆ホウキ守護シュゴニンぜられ、そのショとしたのが、このホトケイシ山頂サンチョウキズいた田内タウチシロ
ある。急峻キュウシュン岩山イワヤマで、ヒガシ山裾ヤマスソには国府コクフ小鴨オガモ両川リョウセンナガれて自然シゼンホリとなり、また、ミズウンも利
用されて、城下町ジョウカマチ発達ハッタツし「国見クニミ千軒センケン」といわれるホド繁栄ハンエイした。
  トキウジコウ嫡子チャクシコウ打吹ウツブキヤマジョウキズいて、ここにショウツしたので、田内タウチシロハイシロとなった。
この遺跡イセキ簡素カンソで、小規模ショウキボ山城ヤマジロモトカタチ今日コンニチよくノコしているが、当時トウジ建物タテモノ姿スガタアキらか
でないので、後生コウセイショシロ参考サンコウとしてフウツクったものである。
(参考サンコウ文献ブンケン  伯耆ホウキ石碑セキヒ著者チョシャ 西尾ニシオ マモル
じる