●信玄堤
竜王町の釜無川と御勅使川の合流地点にある信玄堤は、武田信玄によって築かれた堤防です。ここは毎年雨期になると大水に見舞われ、付近の住民は苦しめられた。信玄は堤防をここに築くことを計画、天文十年(1541)から実に二十年弱をかけて完成させた。
信玄が用いた工法は、当時としては画期的なものだった。それまで扇状地を自由奔放に流れていた御勅使川の流れをまっすぐに固定し、その主流を竜王の赤石にぶつけた。さらに「将棋頭」と呼ばれる石組みを築いたもので水流を二分、その水が釜無川と合流するところに石組みを築き、水勢をそいで釜無川と順流させる方法をとった。最後には赤石の下流に千八百b以上にわたる堅固な堤防を築いて樹木を植えさせました。
●中条堤
江戸時代から明治時代にかけて、利根川の洪水から江戸の街を守った「中条堤」をはじめとする堤防群が現在の埼玉県行田市付近にありました。中条堤は他の堤防とともに、大洪水の進行を阻み、逆流させながらこの地に遊水させ、利根川下流部への洪水負担を軽くさせ、江戸城下を水害から守っていたのです。しかし、明治43年の堤防決壊以後、連続する堤防が整備されることになり、その遊水機能は渡良瀬遊水地やダムなどにとってかわっていきました。江戸260年の繁栄は、実はこの名もなき堤防に支えられていたのですね。 |