八木用水のかんせい



 太田川左岸の沼田郡一帯(ぬまたぐんいったい)安佐南区(あさみなみく))は、すぐ近くに川が流れていながら、川の水位の低さのため取水が困難(こんなん)で、いつも農業用水が不足する地域(ちいき)でした。そこで沼田郡(ぬまたぐん)南下安村(祇園町(ぎおんちょう))の大工・桑原卯之助(くわばらうのすけ)が中心となって、太田川の上流の沼田郡八木村十歩(ぬまたぐんやぎむら10ぽ)一から取水して水路をつくり、緑井(みどりい)中須(なかす)→古市→西原→長束→新庄(しんじょう)楠木(くすのき)などの各村を経由(けいゆ)して打越村(うちこしむら)(いた)って太田川に注ぐ、近くの17村を(うるお)す計画を実施(じっし)しました。また、取水地の八木村十歩一から打越村(うちこしむら)までの開削距離(かいさくきょり)は四里(約15.7km)で、当初は卯之助用水(うのすけようすい)()ばれていました。この用水の恩恵(おんけい)を受けた地域(ちいき)の面積は、約230町歩に達したといわれ、工事は卯之助(うのすけ)尽力(じんりょく)と村人の昼夜兼行作業(ちゅうやけんこうさぎょう)により、24日間で完成に(いた)りました。