太田川放水路



 広島平野を洪水(こうずい)から守るために大きなやくわりをはたしているのは、なんといっても太田川放水路です。
 広島を流れる7本の川のうち、福島川と山手川を、利用してつくられたこの放水路は、1932(昭和7)年、国や県がたてた太田川改修計画(おおたがわかいしゅうけいかく)をもとに、市も協力してつくられはじめました。とちゅう、戦争のえいきょうで工事が中断(ちゅうだん)しましたが、1967(昭和42)年、36年の年月をかけて完成しました。
 太田川放水路工事は、昭和7〜8年の準備測量(じゅんびそくりょう)の後、昭和9年から、下流より工事が進められましたが、昭和16年の太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、予算的にも人材的にも苦しい状況(じょうきょう)となり、戦局不利となった昭和19年6月から工事は一次中止となりました。
 終戦後、昭和21年に工事を再開(さいかい)しようとしましたが、用地補償問題(ようちほしょうもんだい)難航(なんこう)したため中止状態(ちゅうしじょうたい)となりました。昭和26年に補償問題(ほしょうもんだい)解決(かいけつ)し、工事は本格的(ほんかくてき)再開(さいかい)され、昭和36年には放水路のかなめとも言うべき、大芝(おおしば)祇園水門(ぎおんすいもん)の工事に着手しました。
 その後、工事は順調に進み昭和40年5月14日に通水式が行われました。そして昭和42年には一部残っていた堤防(ていぼう)も完成し、着工から36年の歳月(さいげつ)をかけて放水路は完成しました。