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関ヶ原の戦いで毛利氏に代わって、福島正則が安芸・備後49万石の太守として、広島城に移付されてきました。
福島正則は城や城下の改修に力をいれました。城の北側を流れる京橋川土手も脆弱で改修の必要に迫られましたが、工事が難行し、人柱を埋める話が持ち上がりました。
福島正則は埋められる領民を哀れみ、秘蔵の名刀八本を代わりに埋めさせたと伝えられています。
その埋めた跡地に「八剣神社」を祀り、今日に至っているということです。
北に向かって建つお社は、流れ来る洪水が護岸を壊さず、無事通り過ぎることを願って、祀られているものと思われます。 |


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