国土交通省 中国地方整備局 総務部
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中国地方整備局 沿革


明治19年 7月
(1886年)
国が直接行う工事の施行及び、府県の土木事業の監督を行うことを目的に全国で6箇所に内務省土木監督署が設置された。この全6区の土木監督署の設置により、国が直接行う事業の施行機関が創設された。
・明治22年 7月
(1889年)
波国名東郡徳島の第5区土木監督署が安芸国に移されたことで、中国地方に初の土木監督署が設置された。これが、現在の中国地方整備局の前身となる。
・明治23年 8月
(1890年)
土木監督署の設置場所を古い国名で表していたものが、府県名に改められた。(安芸国から広島となった)
・明治38年 4月
(1905年)
内務省土木監督署が廃止され、東京、新潟、名古屋及び大阪に内務省土木出張所が設置された。
中国地方の担当は大阪土木出張所となる。(土木出張所の仕事は国が直接行う河川、道路、港湾及び砂防等の事業)
・明治44年 4月
(1911年)
内務省下関土木出張所が設置された
山口県・広島県・島根県の一部と九州・沖縄を担当。
・大正13年 1月
(1924年)
内務省土木出張所が8出張所(東京、横浜、仙台、新潟、名古屋、大阪、神戸、下関)とされ、中国地方の担当は、現在の鳥取県、島根県、岡山県、広島県を大阪土木出張所、山口県を下関土木出張所となる。
・昭和18年11月
(1943年)
内務省中国四国土木出張所が設置される。
(広島市猿楽町15番地 広島県産業奨励館内に設置)
担当は中国5県、四国4県
(河川、砂防、道路の直轄事業を担当)
港湾事業は運輸通信省に分担され、近畿2府3県、山口県を除く中国4県、四国4県で国が直接行う港湾土木事業を担当する第三港湾建設部が神戸市に、山口県、九州7県、沖縄県を担当する第四港湾建設部が下関市に創設された。
・昭和20年 5月
(1945年)
運輸通信省が運輸省と改正
・昭和20年 8月 6日
(1945年)
原爆投下のため仮庁舎移転(広島市東区牛田旭区)
「広島県産業奨励館=現在の原爆ドーム」
・昭和23年 1月
(1948年)
内務省が廃止解体され、建設院が設置された。
中国四国土木出張所も建設院に所属し、名称は建設院中国四国地方建設局となる。(広島市に設置)
・昭和23年 7月10日
(1948年)
建設院が廃止され、建設省が設置、中国四国地方建設局も建設院から建設省に名称変更
・昭和27年 8月
(1952年)
運輸省第三港湾建設部が運輸省第三港湾建設局に運輸省第四港湾建設部が運輸省第四港湾建設局に名称変更
・昭和33年 6月
(1958年)
中国四国地方建設局が中国と四国に分担され、中国地方建設局が広島市に設置された。
・昭和40年 4月
(1965年)
飛行場建設に関する国が直接行う事業を港湾建設局が担当することとなった。
・平成13年 1月 6日
(2001年)
省庁再編により国土交通省が設置
(国土庁、北海道開発局、運輸省、建設省の4省庁が統合)
国土交通省中国地方整備局が設置された
(中国地方建設局と第三港湾建設局の一部(鳥取県、島根県、岡山県、広島県)、第四港湾建設局の一部(下関市を除く山口県)が統合され中国地方整備局となる)