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佐波川の河口で、いっぱい”鯖(さば)”がとれたので佐波川と呼ばれるようになりました。
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徳地町にある”鯖河内(さばごうち)”という地名からとって、佐波川と呼ばれるようになりました。
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3. |
大昔(弥生(やよい)時代の頃)防府市周辺のことを娑婆(さば)の国と呼んでいたので、そこを流れる大きな川を佐波川というようになりました。
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佐波川と人のかかわりあいは古く、鎌倉時代(かまくらじだい)の文治(ぶんじ)2年(1186)に、東大寺再建の命(めい)を受けた俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が、必要な用材を運搬するために整備し、現在のような河道(かどう)ができあがったといわれています。
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東大寺(とうだいじ)再建のためにつくられた佐波川の水路は、上流域の水深が浅かったために切り出した木材を河口まで運ぶのが困難でした。それを解決するために考えられたのが「関水(せきみず)」でした。関水とは、上流の浅いところに堰(せき)をもうけて流水をとめることにより川沿いに水路をつくり木材を流すことを容易にしました。当時は、118箇所あったといわれていますが、現在では1箇所しかその姿を見ることはできません。
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