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  江戸時代、国境を流れる小瀬川は、安芸の国(広島県)で木野川、周防の国(山口県)で小瀬川、または御境川と呼ばれていました。 そのころの小瀬川は、洪水のたびに川の流れが変わるため、両国の利害がからんで争いごとが絶えませんでした。 その対立を物語るものに、護岸工事があります。石垣を築く場合、水筋を相手に向けようとしたり、自分たちの領土をひろげたりしようとしました。
 特に、寛文2年(1662)6月の争いは、死者もでるほどの大きなものだったようです。 このため、享和元年(1801)、両国の話し合いによって小瀬川の川底を掘り、その中央を境界としました。その国境が現在の広島・山口の県境として引き継がれています。
 これ以後、争いは少なくなり、河口部の干拓が盛んに行われ、農地は広がっていきました。
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