この構造により、堰止め、堰外しともわずか10人程度の労力で足りたということです。 |
また、堰の管理は、中央部より左岸側は大竹村、右岸側は和木村によって、両岸堤防止に小屋を作って資料を保管して行われました。 |
天保年間につくられた中市堰は、長年にわたってその役目を果たしましたが、昭和26年のルース台風により流出しました。 |
その後、可動堰に改良されたものの老朽化が進み、その機能は著しく低下し、そのうえ川底も高くなっており、治水のうえで問題が生じてきました。 |
このため、小瀬川の安全と塩害の防止、取水位の確保を目的とした新しい堰が計画され、平成5年に完成しました。 |
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