栗尾川改修記念碑 | ||||||||||||||||||||
所在地 | 倉吉市栗尾地先(案内図はこちら) | |||||||||||||||||||
西郷保育園南側 | ||||||||||||||||||||
栗尾の山々に源を発する栗尾川は、上余戸の小山の鼻で竹田川に流入しているが、この河道は 昭和13年以後のもので、元の栗尾川は上余戸から西郷小学校の前を流れ、八屋の上方で主流の 土手根川のほか、水田の中を流れる農業用水の動々川、中井手川、更に生活用水となって村の中 を流れる前川に分流し山根茶屋から上井町を通って、海田、福庭へと流れ、多くの水田を養い、 雨水などの排水路として機能していた。従って栗尾川は、大原を除く西郷全域の雨水を受ける、 西郷唯一の重要な河川であった。 |
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昭和9年9月に襲った室戸台風による大災害に対し両陛下からの御下賜金があり、各方面から も義援金が寄せられた。翌10年、鳥取県は臨時県会で総額3,473万円余円の県政史上空前の 復興予算が計上され、竹田川改修工事は国の直轄事業とし、15ヵ年の継続事業で取り組まれた。 |
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西郷村では、これに合わせて栗尾川の大改修と村道の整備を実施することとし、村道改修費は 4万余円であったが、栗尾川の改修には10万余円が計上された。栗尾川は上余戸から下西郷 を通って上井方面へ流れていたものを上余戸から竹田川へ直流させる思い切った大改修である。 当初長尾山を掘削して大原地内に導き、竹田川に流す計画があったが、大原から大反対の声が 上がり、再度、慎重な検討の結果、上余戸墓地の一部を切り取り、向山麓の田畑を掘削して、 小山から竹田川へ直流させたのが現在の栗尾川である。 |
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完成記念碑を旧小学校校門を入った左側に建立したが、昭和47年学校改築による新校舎の 建設などにより、現在地の保育園の南側に移転し保存しているが、治山治水の大切さと先人 の労苦が偲ばれる。 西郷誌 (西郷誌振興協議会) |
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