(こく)(ちょう)()神社(じんじゃ)
所在地 倉吉市国分寺426(案内図はこちら
由緒記
 我が国古代大和時代伯耆国の国造に大八木足尼が地方官として中央より任命されました。
国造の適地として国庁を八代郷に設置したのであります。
 伯耆とは、久米、河村、八橋、会見、日野をいい、この管内の祭事と政治を棠っておりました。
国造は大国主命を深く崇敬し、又命に協力した少毘古那命との二柱の神様を国庁のうちに神社を
建てて祭り国庁裏神社と称しました。
 奈良時代元明天皇の和銅二年十一月に伯耆の国司、金上元為は事務が多くなり国中の各神社に
巡拝することができなくなり国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うこととしま
した。この代表神社を総社といいました。世移り時変わり、昭和20年2月に県社に昇格し現在
に至っています。 (境内の石碑から転記)
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