百間川河口の水門建設

百間川河口部の流下能力(排水能力)を向上させ、
旭川から百間川への分流量の増加に対応した洪水対策機能の拡大を図りました。

昭和水門と平成水門

昭和水門

昭和9年の室戸台風による大洪水を契機に、百間川に流入する計画高水流量を1,000m3/sから2,000m3/sに変更した。計画高水流量は、戦後の経済事情から昭和36年に1,200m3/sに変更したが、旧排水樋門では流下能力が不足するため、昭和38年から新たな河口水門の改修を行い、5年の歳月を経て昭和43年に完成した。この昭和の河口水門は、全長138mに6基のゲートを有し、20m×6mの鋼製ローラーゲートを1分間に30cm巻き上げる構造となっている。

平成水門

流域内における市街化の進展等による治水安全度の向上の必要性から、平成4年に百間川への分流量を2,000m3/s(河口では2,450m3/s)とした。併せて、流下能力が不足する河口水門の東側に新たな河口水門を増築することとし、平成27年に水門増築事業が完了した。増築水門のゲート形式は、「耐震性」「経済性」「景観性」を考慮して、ライジングセクターゲート(ゲートを回転して開閉する構造)としている。ゲートは幅約33.4m、高さ約6.9mで、ライジングセクターゲートとしては、国内最大級。

ライジングセクターゲートの仕組み

ゲート閉時

ゲート開時

増設の新水門
(ライジングセクターゲート:仮締切中)

ライジングセクターゲートとしては、国内最大級

江戸から明治期の河口

旭川放水路である百間川の築造において、治水対策と大規模な新田開発の両立を図る大胆な計画を可能としたのが、当時の土木技術を駆使した百間川河口水門である。この河口水門は、潮止堤と複数の樋門の組み合わせによって、洪水調節と潮止め対策の相反する2つの役割を果した。水門は築造後から修繕と改築を繰り返され、その時代によって細かな構造は異なるが、基本的な構造形式は、昭和の河口水門と同様なものであった。この排水樋門群は、実に270年余りの長きにわたって、塩害や洪水・高潮の被害から百間川河口の地域一帯を守り続けた。百間川河口付近には、明治24年頃の改修時に建てられた石碑があり、この頑強な水門がもたらす恵みを語っている。

五蟠角樋

五蟠水門

中五蟠樋

洗手樋

唐(空)樋

巽屋樋

江戸から明治期築造の排水樋門群

水門樋門の操作

満潮時

河川水位が潮位より低い場合は、樋門を閉めて海水の逆流を防止。
河川水は、河川内に溜め込む。

干潮時

河川水位が潮位より高い場合は、樋門を開けて、河川水を排水。

洪水時

洪水時は、樋門を開けて、洪水を排水する。
(樋門の排水能力を超えた場合は、沿川で氾濫の恐れあり)。