デルタをつなぐ橋

15世紀(ころ)の広島という地名がつくころの地形です。河口(かこう)にできた三角州にはようやく人が住み始め、五カ村と()ばれていました。比治山(ひじやま)や黄金山が海に()かぶ小島であった時代です。
17世紀(ころ)の地形です。河口(かこう)にできた三角州からようやく現在(げんざい)の地形を想像(そうぞう)することができます。
現在(げんざい)の地形です。太田川放水路が整備(せいび)され多くの橋がデルタ地帯をつないでいます。