よみがえった広島城(ひろしまじょう)のお(ほり)

広島城(ひろしまじょう)のお(ほり)内堀(うちぼり))の水は、明治時代までは太田川から導水(どうすい)していましたが、その後埋め立(うめた)てなどにより、閉鎖性水域(へいさせいすいいき)となりました。そのため水質(すいしつ)が悪化し悪臭(あくしゅう)が立ち、アオコやユスリカの異常発生(いじょうはっせい)や、魚が大量に死ぬといったことが、繰り返(くりかえ)されるようになりました。そこで、平成元年が広島城築城開始(ひろしまじょうちくじょうかいし)400年に当たることや、平成6年にアジア競技大会(きょうぎたいかい)が、広島市を中心に行われる事を契機(けいき)に、昔の広島城(ひろしまじょう)のお(ほり)環境(かんきょう)復元(ふくげん)するために、旧太田川(きゅうおおたがわ)から導水(どうすい)することとしました。
 この事業は広島市と共同で実施(じっし)し、建設省(けんせつしょう)(げん) 国土交通省)は、平成2年から着手し、平成5年度に完成しました。
内堀(うちぼり)水質悪化(すいしつあっか)による魚の大量死(昭和51年11月)