「ぬくい」のきげんと「ぬのこでいけ」



 昔々、温井(ぬくい)の里に大窪(おおくぼ)(または大久保(おおくぼ))というところがありました。そこの岩間から、温かい水が()き出ていたそうです。村人たちは、いつもこの湯を使って、(きず)治療(ちりょう)や、足腰(あしこし)(いた)みをなおしていました。その()き目は近所の村々に言い伝えられて、湯治の客も多くなるばかり。周囲からこの里を、温かい井戸(いど)温井(ぬくい)」と()ばれるようになったということです。
 ところが、湯元から50間下流に、(はば)10間・長さ20間の大きな(ぬま)があり、底なしの(ぬま)ともいわれていたが、その(ぬま)には、日暮(ひぐ)れになると、どこからともなく1人の老婆(ろうば)(あらわ)れて、夜な夜な(ぬの)をさらしている、という(うわさ)(だれ)いうともなく広がって「あそこへ夕方行くと、布古手(ばば)が出てきて、子どもをさらって行くそうな」と、みんなから(おそ)れられるようになった。それからは、湯に来る客も全くなくなったということです。
 そこで地主は、この(ぬま)埋め立(うめた)てて田畑を作ることにして、まわりの人たちに(たの)んで、4、5年かけて完成させて、そこに氏神さまも(まつ)り、翌年(よくねん)、その田に(いね)を植え付け、まわりの人たちを(みな)()んで、開田の祝いもしたそうです。
 (いね)は順調に育ち、これで秋の取り入れを待つのみ。このぶんなら今年は大豊作(だいほうさく)、とたいへん喜んでおったところ、9月に入ると急に天候が(くず)れ、()るわ()るわ、今でいう集中豪雨(しゅうちゅうごうう)見舞(みま)われ、荒れ狂(あ くる)滝山川(たきやまがわ)大洪水(だいこうずい)に、田畑は見る見るうちにのみ()まれてしまい、翌日(よくじつ)になってみると、もとの田畑は白い河原(かわら)となっていました。そして、温井(ぬくい)の温かい水も冷泉(れいせん)となってしまいました。
 でも、布古手池はもとのところに元通りできていたということで、これは布古手池の(たた)りだと、末永(すえなが)語り継(かた つ)がれ、以来この(ぬま)(だれ)も手をつける者は無かったという話です。