栗栖権頭の
城址
(
じょうし
)
が、
滝本
(
たきもと
)
にあったそうで、安野に、小田という
殿
(
との
)
さまがいたそうです。そして、栗栖権頭が、合戦でケガをして
血塗
(
ちぬ
)
れになった
鎧
(
よろい
)
を丁川の永代橋の近くにある
淵
(
ふち
)
で
洗
(
あら
)
ったので「
鎧淵
(
よろいぶち
)
」といわれているそうです。
丁川も、その
鎧
(
よろい
)
から「ようろがわ」と名前がついたのではないかという説もあります。