広島のきょうどげいのう


湯立神楽
湯立神楽(ゆたてかぐら)
流鏑馬神事
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
津浪太鼓踊
津浪太鼓踊(つなみたいこおど)
田楽
田楽(でんがく)
加計げんこつ踊り
加計げんこつ(おど)

●湯立神楽(広島県無形民俗文化財(ひろしまけんむけいみんぞくぶんかざい)
 江戸時代中期(えどじだいちゅうき)以前(正徳(しょうとく)年間)から長尾神社(ながおじんじゃ)伝承(でんしょう)されている湯立神楽は、祭祀(さいし)の前に湯立ての神事を行い、つづいて湯立ての(まい)奉納(ほうのう)するという他にあまり類例のないものです。
●加計げんこつ(おど)り(加計町無形民俗文化(かけちょうむけいみんぞくぶんか)
 丁川地域(よろうがわちいき)伝承(でんしょう)されているげんこつ(おど)りの元祖(がんそ)は、江戸時代(えどじだい)(安正年間)に虫送り行事で(おど)った「豊年(ほうねん)(おど)り」とも「鳥追い(おど)り」ともいわれています。「げんこつ」の名の由来は踊り子(おどりこ)の右手に鳴子を打ち鳴らす所作からという説、明治の凶作(きょうさく)(あさ)の2度(まき)の成功に喜んだ若者(わかもの)たちの乱舞(らんぶ)の様子かという説の2つ説があります。
津波太鼓(つなみたいこ)(おど)り(広島県無形民俗文化財(ひろしまけんむけいみんぞくぶんかざい)
 津浪地域(つなみちいき)伝承(でんしょう)されている太鼓(たいこ)(おど)りの歴史は古く、天正9年(1951年)出雲の国に神田福一という人から伝授(でんじゅ)されたと、江戸時代後期(えどじだいこうき)(文化年間)の記録にあります。元来は(いね)の害虫を追い払(おいはら)う虫送り行事の(さい)に田の(あぜ)(おど)られた「豊年(ほうねん)(おど)り」が原型で、その後「祝賀(しゅくが)(おど)り」になったと考えられています。
流鏑馬(やぶさめ)神事(加計町無形民俗文化財(かけちょうむけいみんぞくぶんかざい)
 堀八幡神社(ほりはちまんじんじゃ)伝承(でんしょう)されている流鏑馬(やぶさめ)は、中国地方でも(めずら)しく、古い伝説やゆかりの地名を残しており、江戸時代(えどじだい)以前からの伝承(でんしょう)と考えられています。
殿賀田楽(とのがでんがく)加計町無形民俗文化財(かけちょうむけいみんぞくぶんかざい)
 田楽は昨今は田植え行事から(はな)れましたが、田仕事が一段落(いちだんらく)してから行われていた豊作(ほうさく)祈願(きがん)する「囃子田(はやした)」が原型です。加計町内各地域(かくちいき)で行われていましたが、現在(げんざい)伝承(でんしょう)されている地域(ちいき)は、殿賀地域(とのがちいき)安野修道地域(やすのしゅうどうちいき)の2カ所です。