縮景園



 縮景園は、1619(元和5)年に福島正則転封(ふくしままさのりてんぽう)のあと紀伊(きい)から入部した藩主浅野長(はんしゅあさのなが)(あきら)が、その翌年(よくねん)別邸(べってい)として築造(ちくぞう)したのものであり、泉水(せんすい)泉邸(いずみてい)の名で広島の人々によく知られています。庭園は二葉山と己斐山(こいやま)を借景とし、中央に濯纓池(たくえいち)をおき、山・(かわ)(たき)・橋・島・奇岩(きがん)・花鳥・建物などを(たく)みに配した廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)です。
 池の水は太田川の支流(しりゅう)の京橋川から水門によって引き入れ、末流は市街地を南流し上流川・下流川の町名の起源(きげん)となっています。