かせんじぎょうにこうけんしたれきしてきな人物について



 河川事業(かせんじぎょう)は、かつては仏教僧(ぶっきょうそう)行為(こうい)として、あるいは領土(りょうど)(ゆた)かさを産み出す武将(ぶしょう)行為(こうい)として行われました。


行基(ぎょうき) 668〜749年
 行基(ぎょうき)15歳(  さい)で出家し、先に入唐(にゅうとう)(とう)の国へ行くこと)して外来技術(がいらいぎじゅつ)を身につけていた道昭の弟子となり、この()より船や水に関する土木技術(どぼくぎじゅつ)を学んだと言われています。

武田信玄(たけだしんげん) 1521〜1573年
 有名な武将(ぶしょう)である武田信玄(たけだしんげん)は、甲府盆地(こうふぼんち)の治水、金山開発など多くの事業を行いましたが、川に関わる代表的な事業は、釜無川(かまなしがわ)信玄堤周辺(しんげんていしゅうへん)および笛吹川(ふえふきがわ)の万力林周辺の治水事業でした。

伊奈忠次(いなたたつぐ) 1550〜1610年
 徳川家康(とくがわいえやす)の家臣で初代の関東代官となった伊奈忠次(いなただつぐ)は、利根川の調査(ちょうさ)・計画を行い、その足跡(あしあと)備前守(びぜんのかみ)の名にちなんで備前堤(びぜんてい)備前堀(びぜんぼり)などとして現在(げんざい)に残っています。

野中兼山(のなかけんざん) 1615〜1664年
 土佐藩(とさはん)家老野中兼山(かろうのなかけんざん)は、“先憂後楽(せんゆうごらく)”を説きながら、自ら率先(そっせん)して用水路を掘削(くっさく)耕地(こうち)を開きました。その実績(じっせき)は産業の振興(しんこう)など多方面におよび”土木神の化身”とまで(しょう)されました。