太田川のいかだ流し



 太田川の(いかだ)流しがいつ(ごろ)から始まったものなのかは明らかではありませんが、明治後半以降(いこう)、鉄道の枕木(まくらぎ)として大量の木材が運搬(うんぱん)されていました。また、電柱材、建築材(けんちくざい)、マストその他の船舶用材(せんぱくようざい)、カキ養殖用(ようしょくよう)の竹などが(いかだ)流しされていました。
 木材の運送は、木材の伐採(ばっさい)から(いかだ)流しまでを一連の行程(こうてい)で行われていました。

     @さき山→A木出し→B木流し→C(いかだ)流し

 @のさき山は山師(やまし)()ばれる木材業者が買った山へ(そま)木挽(こびき)が入って伐採(ばっさい)製材(せいざい)することで、伐採(ばっさい)した木材を山から川に入れる地点まで「シダ」や「ドグルマ」「ドビキ」「キンマ」などの手段(しゅだん)によって運び出すことを木出しと言います。@とAをあわせて山出しとも言われていました。山出しは夏のうちに行い木流しを秋または春の雪どけ水にのせて(はま)まで運びました。