川船乗りの仕事



 太田川では、昔から川船が(さか)んに行われていました。近世になると城下町(じょうかまち)への年貢(ねんぐ)やそのほかの品物を供給(きょうきゅう)するパイプとなりました。この(ころ)は村々の有力者が船主となり、人を(やと)って船乗りの仕事をさせていました。明治になると船頭が船主となることが多くなりました。
 太田川では、2人で1(せき)に乗り、オモテノリを船頭が、トモノリを(やと)われた人がつとめていました。前の(ばん)に積荷を終わり、早朝に出発し川の流れに乗って広島に向かいました。帰りは4,5(せき)が連結し、川沿(かわぞ)いの船頭道をひっぱってあがるのです。日没(にちぼつ)になるところで船宿に()まり、早朝から夕方までの重労働をするので、5食分の弁当箱(べんとうばこ)を持って歩いたそうです。