もとまちちくのへんぼう



 基町地区(もとまちちく)の歴史は古く、その名が(しめ)すように広島開基(ひろしまかいき)の地として天正17年(1589)毛利輝元(もうりてるもと)広島城築城(ひろしまじょうちくじょう)に始まります。戦前、戦中には軍の施設用地(しせつようち)として使用され、戦後は戦災者(せんさいしゃ)収用(しゅうよう)のための公営住宅供給地(こうえいじゅうたくきょうきゅうち)となりましたが、不法占用(ふほうせんよう)のバラック建築(けんちく)も加わりスラム化していきました。その後、昭和27年広島城(ひろしまじょう)(ふく)めた中央公園の予定地として都市計画決定され、以後 不法(ふほう)住宅(じゅうたく)解消(かいしょう)中央公園整備(ちゅうおうこうえんせいび)が行われてきました。現在(げんざい)では、原爆(げんばく)ドーム、平和記念公園、広島城(ひろしまじょう)隣接(りんせつ)する文化・文教地区として、美術館(びじゅつかん)、図書館、体育館、市民球場、青少年センターなど多くの公的施設(こうてきしせつ)整備(せいび)されています。
 あわせて太田川でも基町環境護岸(もとまちかんきょうごがん)や、原爆(げんばく)ドーム付近の親水テラスなどが整備(せいび)されています。