昭和42年に完成した放水路は、その5年後に中国地方を
襲
(
おそ
)
った昭和47年7月の
既往最大
(
きおうさいだい
)
の
洪水
(
こうずい
)
(6800m
3
/s)や昭和51年7月の
洪水
(
こうずい
)
(5800m
3
/s)でも太田川下流部の大きな
被害
(
ひがい
)
はなく、その役目を
立派
(
りっぱ
)
に果たしました。
具体的な例では、昭和18年9月の大水害では、
浸水面積
(
しんすいめんせき
)
2200ha、
被害家屋
(
ひがいかおく
)
約1万2000戸に達する
氾濫
(
はんらん
)
がしょうじたのに
比
(
くら
)
べ、これを上回る出水をみた昭和47年7月には、放水路の完成により
浸水面積
(
しんすいめんせき
)
は約200ha、
被害家屋
(
ひがいかおく
)
は約1000戸にとどまっています。