災害概要 |
昭和42年7月豪雨 (最大時間雨量74.7mm,死者159人)
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気象概況 |
当時梅雨前線は西日本に停滞していて、5日に降り始めた雨も8日の午前2時ごろまでに約18mmで会ったが、台風7号が南西諸島の宮古島を通過して、東シナ海を北上しはじめ、8日朝から前線の活動が活発になった。
8日の夜明け前から雷を伴って強い雨が降り始め、昼過ぎまで続き、呉市では8日6時から12時までに49.6mmの雨が降った。
その後も停滞した梅雨前線のため8日午後から夜にかけて断続的な雨が降った。
台風7号は8日9時にはすでに弱い熱帯低気圧となり、9日になるとさらに衰え温帯低気圧となったが、折から北上してきた梅雨前線に沿って移動し、朝から再び雨が強くなった。
低気圧は15時には北九州北部に達しているが、このころ呉市では急激に強い雨が降り、16時から17時にかけて74.7mmにも達した。
これは呉測候開設以来の強雨であった。
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被害状況 |
広島県全体では、死者159名、負傷者231人、家屋全壊514戸、半壊605戸、床上浸水10,690戸、床下浸水49,249戸。
特に被害の大きかった呉市では、死者88名、負傷者231名、家屋全壊289戸、半壊176戸、床上浸水6,000戸、床下浸水20,000戸。
呉市は、昭和20年災害時(死者1,154名、流出家屋162戸、半壊792戸)程度の降雨量に対応する復興計画をたてていたため、昭和20年災害に比べ、被害が少なかったが、豪雨の前日の降雨量は昭和20年より多く、地盤がゆるんでいたところへ本格的な豪雨となり、山崩れ、がけ崩れ、河川の決壊、氾濫が全市にわたり、生埋め171名、死者88名の大災害をもたらした。
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