| 昔の小瀬川は、下流に木材や炭などを運ぶ大切な交通路でした。川船で物を運んだり、木材を筏に組んで流したりしました。 | 
          
           | 明治10年代には川底を掘って、弥栄まで行き来したということです。しかし、それも大正年代に道路がつくられると、馬車や自動車で物を運ぶようになり、川船は次第に姿を消していきました。 | 
         
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           | ● 船による渡し | 
          
           | 江戸時代、安芸と周防の国境である小瀬川の通行は、渡しによるしかなく、船守番所は周防側に設けられていました。この渡しは、大正10年に両国橋が架けられるまで、大きな役割を果たしていました。 | 
          
           | 江戸時代、安政の大獄(1859)で処刑された周防の学者「吉田松陰」が、江戸へ移送されるとき、二度と帰れぬ故郷を思って、この渡しで歌を詠みました。 | 
         
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           | 夢路にも かへらぬ関を 打ち越えて 
 今をかぎりと 渡る小瀬川
 
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