石見銀山街道



天領石見銀山

 石見銀山は,鎌倉時代末期に発見され,17世紀には徳川幕府直轄地として その財源を支える重要な銀山になりました。石見銀山街道は,銀を搬出する 御用輸送路として開かれ,最盛期には年間3,500貫(約1.3トン)の運上銀を 搬出していたといわれます。銀の他にも多くの人や物資が往来し,文化交流の 道としても繁栄しました。当初,銀の搬出は,日本海側の温泉津港を使い 海路により輸送されていましたが,海上輸送は危険を伴うため,江戸時代には 陸路を通じ,今の広島県尾道へ運ぶルートが整備されました。
 「銀山日記」(17世紀初め)によれば,人口20万人,家屋数約2万6,000軒を数え, 石見銀山が日本有数の都市として栄えていたことが記されています。
 町は,銀を採掘していた「銀山地区」と生活の場であった「大森地区」に大きく 区分され,重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。銀山地区には, 銀の精錬を行った吹屋跡や坑道(間歩)など,往時の銀山集落としての面影を 今も色濃く残しています。大森地区には,代官所跡や社寺群,武家屋敷と民家 が混在した独特の町並みなどが残り,人々でにぎわっていた当時の隆盛を今に 伝えています。

●自動車利用

中国横断自動車道(広島浜田線)大朝ICより一般国道261号などを経由し1時間。
●鉄道利用

JR山陰本線大田駅下車,バスで約20分。





上下の宿

 上下宿は石州(島根県)大森銀山と尾道,笠岡,福山を結ぶ石見銀山街道の宿場町として 発達しました。江戸幕府はこの地の銀を元手に,上下代官所陣屋を経由して有力商人に委託運用し, これを「上下銀」と呼んでいました。 上下宿には一獲千金を夢見る人々が各地から集まり,消費文化の花が咲き, 明治時代になっても天領の余韻を残しながら発展を続けました。
上下の宿

●自動車利用

山陽自動車道尾道ICより一般国道184号・432号を経由し約50分。
中国縦貫自動車道庄原ICより一般国道432号を経由し約35分。
●鉄道利用

JR福塩線上下駅下車,徒歩約1分。




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