昔、下土師から中土師に上る里道に「鬼の木戸」という岩室(いわむろ)があった。
 明治三十五年長屋(現吉田町長屋辺り)から土師を経て千代田町壬生に通ずる道路(後に県道となる)が川に沿って(鬼の木戸の下方三〇メートル)開通した。(ここを高川といい、そこの淵を高川淵といった)
 鬼の木戸の岩室は高さ二メートル幅一メートルくらいの岩穴で、その前面の岩盤に鬼の木戸の由来であろうか二〇数行刻まれていたが、その刻字岩は県道工事のため爆破され岩穴は崩れかかり文字岩も一部高川淵に落ち水底に沈んだ。
 
   ※文は右表紙掲載の文献
      『ふるさとめぐり 伝説を訪ねて』(八千代町 1992)
                            より転載(以下同様)
 そもそも、この鬼の木戸という岩室には大きな青鬼が住んでいて普通の人には何もしないが旅僧が通ると捕らえて岩穴に連れ込み岩戸を閉め何日も密閉して食べ物を与えないので病人のようになって放出される。 このようなことを長年続けてきたが、ある時、知名の尼僧がそのことを聞きここに来て鬼の木戸に入り「私はここに何年でも居りますが、いったい青鬼さんは何時までも鬼でいたいのですか。または普通人になりたいのですか」と問うと、鬼は「ほんとうは普通人になりたのだ」といいます、「それなら、私と一緒に三年間修行の旅をすれば、立派な人間になれるから」と。鬼を連れて旅に出たのであとには鬼の木戸だけ残った。

管理所前、「鬼の木戸」の一部?
 高川淵は夏は子供の泳ぎ場であったので川底に刻字岩を見ていたが全部漢字ばかり刻んであり経文のようで読めなかった。昭和四十三年ごろ土師ダム工事着手前に刻字岩を探査して貰ったが見当たらなかったという。  今、鬼の木戸の一部のものと思われる岩が土師ダム管理所の下の崖に立っている。これも大部分は風化して読めないが最後の行に元和八年八月と判読できるところがある。


「鬼の木戸」の一部?を正面から

「刻字」部分??
 「土師」と「安芸高田市」  咽声忠左衛門  八王子よみがえりの水