旭川から百間川が分流する一帯を指し、目安としては「一の荒手(いちのあらて)」から「二の荒手(にのあらて)」の間になります
地図及び関連資料
 百間川(旭川放水路)は、承応3年(1654)の大洪水を契機に、岡山城下を洪水から守るため、当時岡山藩の政治顧問であった熊沢藩山(くまざわばんざん)が越流堤(えつりゅうてい)と放水路を組み合わせた「川除けの法」を考案し、その考えを継いで後の郡代津田永忠(つだながただ)が設計・施工を行い、貞享3年(1686)に完成したといわれ、その後、幾多の洪水から岡山のまちを守ってきました。
 しかし、一方で百間川沿川では通水能力が小さく、また、堤防が弱いことなどから、幾度となく氾濫に見舞われてきました。
 このため、国土交通省(旧建設省)では地元の方々をはじめとする関係者のご理解とご協力を賜り、昭和49年(1974)から百間川の本格的な改修に着手し、百間川を横切る水路、道路の整理から築堤、低水路掘削、排水機場建設など百間川の景観が一新しました。     今後は、支川砂川での残工事を続けるとともに放水路の本来の目的である旭川の洪水をより多くより安全に流すため、流下能力が不足している河口水門の増築と分流能力の低い「一の荒手」「二の荒手」を含めた分流部の改築を行うこととしています。
 河口水門については、現流下能力が計画流量2,450m3/sの約1/2に過ぎないため、現水門の横に増築することとしており来年度工事着手を目指し、現在「百間川周辺有効活用協議会」における検討を進めています。
 なお、分流部の改築に当たっては、300年前の土木技術者の英知が集結され築造されたという歴史を踏まえ、学識経験者、文化財担当者等を入れた委員会(二の荒手委員会、旭川分流部水理検討委員会)を設置し、その改築手法について検討しているところです。
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