晴れの国岡山は、水の国岡山
河川文化ディスカバーフォーラムin岡山
基調講演 大原謙一郎氏の写真
大原 謙一郎氏
おおはら・けんいちろう 東京大経済学部卒。
クラレ副社長、中国銀副頭取などを歴任。現在倉敷中央病院理事長、倉敷商工会議所会頭。

「岡山の川と水」 
大原 謙一郎氏 
大原美術館理事長


 最初に音楽を聞きながら本題に入っていきたい。流れている曲はチェコの国民的作曲家スメタナの「わが祖国」の第二曲「モルダウ」である。
 この曲には〃母なる川〃に対する万感の思いがこもっている。
 私たちの国土日本は水に恵まれて多くの美しい河川があるが、ヨーロッパにもそれぞれ代表的な川がある。ドイツのライン川、ウイーンのドナウ川、パリのセーヌ川などである。
 しかしヨーロッパの川にあるのはわれわれの川のように平和な安らぎのある、めい想的なイメージだけではない。政治的、軍事対立の境界や防衛線であった歴史が生々しく、複雑な国家的対立や国家意識・愛国心が混ざりあった思いをかきたてる川である。無邪気に平穏というわけにはいかないのである。今流れているこの曲も大国の狭間で苦難の歴史を刻んできたチェコ国民の大河モルダウに寄せる複雑な思いを写しだしている。
 「母なる川」に寄せる思いは世界共通であるに違いない。しかし、各地域の歴史と水との付き合い方に応じて、川と水への感じ方はいろいろである。
 その事は美術品の選択や受容にも見て取れる。
西洋美術にはジェリコーが「メデューズ号の筏」をはじめ、水の暴力と戦う人間の姿を描いたものが多い。しかし、大原美術館の選びとった水の風景は、モネの「スイレン」、ル・シダネルの「夕暮れの小卓」その他、静かで、めい想的な深みをたたえた水の姿である。
 美術史家で元国立西洋美術館館長の高階秀爾さんと日本画家の平山郁夫さんが書かれた「世界の中の日本美術」という本があるが根津美術館にある「那智滝図」とユベール・ロベールの「瀑布」とを対比させている。「那智滝図」が自然の霊性、神秘性を描いているのに比べ「瀑布」はごう音とどろく雄大な滝である。
 ヨーロッパ人も日本美術を受容しているが、彼らのいちばんのお気に入りは葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」ではなかろうか。彼等の感性は日本の浮世絵の中でも珍しくダイナミックな浪(なみ)と闘う図を選びとっている。
 このように水に対する感じ方の違いは芸術分野でも随所に顔を出してくる。そのことを踏まえた上で「水と人間との付き合い方」を考えたい。 私たちの水との付き合い方はかつては、優しくフレンドリーだった。川と水の風景には橋とか堤防とか船着き場とか、人工が付き物である。それらは川を使い、川を治めるための仕掛けだが、そういう人工のものが川の風景としっくりなじんで一つの風物となっている。そのこと自体が、人間と川がフレンドリーな付き合いをしてきたことの証(あか)しである。フレンドリーでない付き合いの痕跡は、どこか不自然で醜い。
 浅井忠の絵に、フランスのグレ村の川の洗濯場を描いた作品がある。そのたたずまいから「洗濯」という川に汚れものを流す作業さえも、かつてはエコ・フレンドリーな、環境に優しい方法で行われていたことが想像される。児島虎次郎にも「里の水車」という作品があるが、川の流れを動力として使う仕掛けである水車も、自然に優しく溶け込んだ存在であったことがうかがわれる。
 それでは近代工業の川との付き合いもフレンドリーでありうるのだろうか。
 それを考えるとき胸に去来するのは倉敷絹織(現クラレ)の創業工場の敷地となる予定の高梁川廃川跡の一面の葦原に立ち、この足元の地下を流れる伏流水の恩恵で新しい産業を興すのだと胸を高まらせていた創業者のロマンである。工業にこういうロマンと人間性が残っているかぎり、川と工業のフレンドリーな関係は必ず再構築できると信じたい。
 川を軍事的に利用する仕掛けだった川岸の城郭さえ、今では川になじんだ風物となっている。川を工業的に利用する仕掛けもいつの日か、川になじんだ風物として認知される日が来ることを期待したいと思う。
 一方「川と水を守る」ことも大きな課題である。
 水を巡る環境や生態系、周辺の人間の生活や文化を守ることも必要だが、何よりも、水自体、つまり水資源の量と質を守ることが重要だ。
 私たちの近くでもあの黄河の水がかれつつあるという恐ろしい現実がある。これを防ぐために、水を汚さない、むだにしないということと同時に、水の循環を守ることが大切だ。川面を流れる水だけでなく、地下水脈を大事にし、水源の涵(かん)養力と地下水の保全に努めること、そのために、山と森と土の在り方を再構築することが急務である。川を守ることは山や土や緑を守り、地下水を守ることなのである。
 川と人間の文化を考えようという動きは岡山では行政よりも民間がリードしている。高梁川流域では二十四市町村、二十四法人、三十八の個人で昭和二十九年(一九五四)に高梁川流域連盟が生まれ、雑誌を出したり、講演会、コンサートなどの文化活動をつづけている。最近「特定非営利活動推進法」によるNPO法人となった「旭川を日本一美しい川に育てる会」は1993年の設立である。ここでは旭川流域の住民がどの部分(区域)を受け持つかという「養子縁組」が展開されている。縁組ができると住民が「養子」の川を清掃し、守るというプランである。吉井川でもそうした動きが始まっている。
 水の問題は人類の命運を左右するほどの問題である。人類が今後、長きにわたり生存し続けることができるか否かがいま問われているが、そのぎりぎりの条件を探る「持続可能な開発」のコンセプトが一九九二年の「地球サミット」以来盛んに論議されるようになった。その中心課題の一つも水である。
 このことをしっかり認識しながら、地元での水との付き合い方を考えて行くことが肝要だろう。

山陽新聞社提供                            

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