晴れの国岡山は、水の国岡山
河川文化ディスカバーフォーラムin岡山
パネルディスカッション
渡る風、流れる音、魚や
   
虫たちに心がいやされる
 青山 基調講演をベースに岡山の問題を考えていきたい。川は人類の文明の発祥であったが最近は人と川との関係が希薄になっている。そこで人間との関係をもう一度考え直そうという気運が生まれてきた。
 岡山は吉井川、旭川、高梁川の一級河川があり、水に恵まれている。今日のテーマが「晴れの国岡山は、水の国岡山」となったゆえんである。
 最初に各パネラーから普段の生活と川・水とのつながり、テーマに対する思いを語っていただきたい。

 今井 高梁川の流域で生まれた私は子供のころから川が大好きだった。高梁川は豊かな川で、ほとりに行くだけで渡る風、流れる音、あるいは魚や虫たちに心をいやされる。化石を拾うこともできる。運よく水晶が見つかることもある。
 悠々とした大河とは別に私はよく渓流に潜り込む。渓流には精神世界があり、緊張感や恐怖感がある。ここでは全身の五感を鋭くして自然と対峙(たいじ)しながら川を楽しむことができる。
 今の子供たちは怖いものがあるのだろうか。川と親しみ、水と遊びながら自然の恐ろしさも教えるべきだと思う。
 食文化にも興味があるが今の食文化は、おいしい、まずいだけで論じられている。味覚の問題もあるが、味よりも自然との関係で、どのような食材を、どう食べていくかを問題にしたいと思っている。
 川を大事にしようと子供たちに教えることはなかなか難しいが、食物を通じて教えることはできるのではないか。例えば桃太郎の話は、おじいさんが山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行き、流れてくる桃を拾うのが発端である。山の恵みと川の恵み、そして桃は幸福のシンボルである。そこから生命が誕生する。滋養をいっぱいに吸った最高に健康な男の子である。桃太郎が川から流れてきたのは将来は大海に出ていく立派な大人になることを示唆しているのだろう。
大原 謙一郎氏の写真 今井 真貴子氏の写真
大原 謙一郎氏
おおはら・けんいちろう 東京大経済学部卒。
クラレ副社長、中国銀副頭取などを歴任。現在倉敷中央病院理事長、倉敷商工会議所会頭。
今井 真貴子氏
いまい・まきこ 京都外大卒
家業の旅館業に就く。現在、全国旅館環境衛生同業組合青年部常任相談役。
 中島 旭川の上流の勝山町で生まれた。私も小さいころから水に縁があり、水難の相がある。一歳二ヵ月のときにふろ桶(おけ)に落ちて溺れかけたらしい。
 家の裏には用水がある。大正時代、私の祖父は銭湯の開業を思い立ち、用水から樋で水を大理石の浴槽に引いた。用水からは小魚も一緒に流れこみ、湯がわくと浮いてくる。その魚を網ですくってから入浴したという。
 新庄川という旭川の支流があるが、大きな子に連れられて水中眼鏡などをつけて潜って遊んだものだ。ところが今は「よい子は川に入らない」と立て看板が立っている。田舎に住みながら川で遊べないのは不幸である。

 勝山は木材の町だが山は大きく変わった。戦後の造林で広葉樹を切り、杉、ヒノキを植えた。山へ入ると手入れもされず、真っ暗な山である。暗い森には草も生えない。
 これらの植林は環境のために植えたのではなく用材用だったのだが、今は木を切っても金にならない。伐採のコスト、搬出のコストの方が高くつく。日本は木の文化の国だが今はスウェーデンやフィンランドに比べて生産性は十分の一である。落葉樹を植えるとか、現在の人工林をどんどん伐っていくとか何とか山を変える突破口を開かないと、土の保水力もなくなり、雨が降ると表土が流れる。
 昔は用水に海の魚、サツキマスやウナギ、アユなどがいた。海と川はつながっていた。海からの恩恵も受けられるように仕組みを変えれないものか。

 
柳瀬
 私は東京・新宿の生まれで岡山のようなきれいな川は身近にはなかった。産湯をつかったといえば神田川である。昭和六十三年から岡山にやってきて自然が豊かなことに驚いた。幸町に住んでいたが近くに西川が流れている。緑道公園には百種類四万本の木がある。私は五年間で二、三百回は緑道公園を散歩した。通常の生活が営まれている市街地に緑と水がいっぱいあるというのは本当に素晴らしい。
 岡山の人は自分たちがきれいな水に恵まれていることに気が付いていないようだ。たとえば旭川が日本で三番目に魚の種類が多い川ということを知っていますか。
 今は市内の沢田に住んでいるが祇園用水から引かれた川が次々と枝別れして名前を変えて枝葉のように広がっている。水資源が豊かで平野部が多い岡山ならではの風景である。
 ところで岡山は「晴れの国」というが、晴れるか曇るかはお天道さままかせである。晴れの国だといわれても、だからどうしようということにはならない。何もしなくてもよいようにもとれる。私はむしろ「水の国」だとかねてから提唱している。きょうのパネルディスカッションのテーマに採用いただいて感激している。
 恵まれた水資源をどう生かしていくかによって、やや「停滞」といわれている岡山県も流れだすのではないか。

 大原 岡山の川も海もひところはひどい状況だった。最近ある程度再生され、きれいになった。これを守り、さらにきれいにしていくにはどうしたらよいか。これからは川と水を守るために何かを犠牲にしなくてはならなくなる。その合意をどうつくっていくかが今後の課題だろう。
中島 浩一郎氏の写真 柳瀬 和之氏の写真
中島 浩一郎氏
なかしま・こういちろう 横浜市立大卒。
銘建工業代表取締役専務。真庭郡木材事業協同組合理事
柳瀬 和之氏
やなせ・かずゆき 慶應大卒。
証券会社を経て、トマト銀行入行。取締役事務部長、トマトビジネス取締役社長を歴任。
土と森、土と水、水と空気
 自然同士が響き合う関係を
 青山 みなさんの発言は体験は違っても川に対する思いは共通している。川にはぐくまれた暮らし・文化の問題はどうか。

 柳瀬 かつて宇宙飛行士が「地球は青かった」といったように地球は水の国だ。しかし生活に必要な真水は全体の一%にも満たない。貴重な資源なのだ。ユニセフの資料では一日に一万人の子供がきれいな水がないために死んでいるという。まず水に感謝し、ありがたいと思う。そこがスタートだ。

 中島 魚でいえば私が子供のころよく釣ったアカザが減っている。ヨツメ、メダカやフナ、ドジョウも少ない。アユ、アナゴ、ウナギなどは放流しているが子供にとって楽しい雑魚が減るのはさびしい。このままでは旭川も日本で三番目に魚の種類の多い川ではなくなる恐れがある。
 また私たちの子供のころは山で陣地取り合戦などをして遊んだものだが、今の山は暗くて入れない。川と山、子供たちに遊びを取り戻してやりたい。

 今井 私が川が好きになったのも小学校の授業で治水や潅漑(かんがい)、高梁川のはんらんなども習ったからだ。川の恵みと恐ろしさを学校で繰り返し教えてほしい。
 家庭では食卓に乗ったキュウリ一本でも自然のありがたさを教えることができるのでは。どれだけの水を吸い、太陽の恵みで育ったかを教えれば、食事の前に「いただきます」と手を合わせられる子供になるのではないかと思う。今のテレビのグルメ番組は食をあまりにも粗雑に扱いすぎる。

 大原 子供のためにあまり浄化され過ぎた環境を用意するのは問題だ。私の子供時代はどぶ川で遊んだものだ。ドジョウやイナゴは貴重なタンパク源だった。用水で遊ぶのも結構。用水の水辺にもカワセミや鬼ヤンマもやってくる。

 柳瀬 灘の酒が有名だが実は岡山の水を使った原酒を桶買いしていると聞く。ササニシキやコシヒカリがうまい米というがルーツは朝日米だという。秀吉が備中高松にやってきて水攻めをした。要するに他国の人間が岡山の水を利用してきたのだ。岡山人はこのあたりで岡山の岡山による岡山のための水利用を本気で考えてみたらどうだろうか。

 大原 人類の将来は水が左右すると言っても過言ではない。人類の生存が持続可能なものであるために多くの人が今後とも知恵をしぼって後世に水資源を残さねばならない。
 もう一つ、われわれは土と森、土と水、水と空気など自然同士が響き合う関係をうまく演出しなければいけないと思っている。

 青山 川は人間の暮らしと密接につながりながら美しい景観もつくってきた。川には人の心に働き掛ける機能や力があることが分かった。
 地球サミット以来、自然との共生がキーワードとなっている。豊かな自然の存在なくして人間の生存はない。科学文明は自然を超えることはできない。次の世代へ豊かな水と川、美しい景観を伝えていくために、きょうの討論は有益だったと思う。ありがとうございました。
青山 勲氏の写真 パネルディスカッション参加者の写真
青山 勲氏
あおやま・いさお 京都大卒
同大助手、岡山大助教授を経て、同大資源生物化学研究所教授。岡山県環境審議会会長
パネルディスカッションに耳を傾ける参加者

山陽新聞社提供                            

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