千代水出張所・河原出張所
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千代川の今と昔
 人々は稲作(いなさく)のため川の近くにすむようになり、川との戦(たたか)いが始まります。
弥生時代に入ると、稲作が始まりました。水田は、自然(しぜん)の低湿地(ていしっち)を選んで、川から水を引きやすい平野につくりました。
家は、洪水(こうずい)に流れされないように、自然の丘(おか)や台地、川の流れにそってできた小高(こだか)い土地などにつくられました。
たたきつけるような大雨がふると、水があふれて、あばれ川となって田んぼや家を流し、ときには人のいのちまでもうばってしまいます。
人々は、洪水からくらしを守るために、立ち上がりました。
 日本の川の工事の始まり
 今から1600年も前、ときの大王(おおきみ)、仁徳天皇(にんとくてんのう)は、大阪(おおさか)平野の田や家を守るために、川の流れを整え、堤防をきずいたり新しい川を作ったりしました。これを“茨田(まんだ)の堤(つつみ)”、“なにわの堀江(ほりえ)[水路(すいろ)]”と言います。
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