〜戦国武将の戦いのみち〜
◎名和神社(なわじんじゃ)
後醍醐天皇のために尽くした、名和長年とその一族42人をおまつりしている神社です。
◎尾高城跡(おだかじょうあと)
室町時代に築かれ、江戸時代になるまでは米子地区の中心でした。
◎山中鹿介供養塔(やまなかしかのすけくようとう)
尼子家(あまこけ)再興(さいこう)のために毛利と戦った武将の供養塔です。
このころの道は武将の戦いのみちとして使われました。鎌倉時代の終わりには、後醍醐(ごだいご)天皇を助けるために、名和長年(なわながとし)の一族が活躍しました。
戦国時代には毛利と尼子の争いで、米子の尾高城から鳥取にかけて、数多くの戦いがありました。