みちの歴史探訪その3
江戸〜明治時代 江戸〜明治時代
〜参勤交代、庶民のみち〜
八橋往来 白壁土蔵群
◎八橋往来(やばせおうらい) ◎白壁土蔵群(しらかべどぞうぐん)
倉吉(くらよし)と赤碕(あかさき)を結ぶ八橋往来は人の行き来が盛(さか)んで、町並みも整備(せいび)されました。
明治時代のみちしるべ ◎明治時代のみちしるべ
道が分かれるところには行き先を書いたみちしるべがつくられました。

明治時代のバス

◎明治時代のバス
今のバスとはちょっと形がちがいますね。
 江戸時代になると一般(いっぱん)の人もお伊勢(いせ)まいりなどの旅を楽しむ人が増えて、道を使う人が役に立つように石の道しるべができたり、どこまで来たかわかるように決まった距離(きょり)毎(ごと)に塚(つか)をつくったりして、道がきれいに整(ととの)ってきました。
 明治時代に入ると、道を平らにしたり、橋(はし)をつくったりして、馬車(ばしゃ)などで人や荷物を運びやすいような道がつくられていきました。明治時代の終わりには、数は少なかったですが自動車も走るようになりました。
みちキャラ
 
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