袋川の上流には支流の一つとして扇ノ山を源とする上地川があります。明治期に入ると農業拡大の対象が山林原野や耕作不適地(限界地)の開墾に向けられるようになり、慶応年間(1865~67)頃に楠城の山本清次郎、上地の谷口与左衛門らの手によって京ヶ原の原野11町2反3畝8歩の土地が開墾されました。『空』とも呼ばれる京ヶ原の標高300~600mにある棚田20haに潅水するため、標高600~700mあたりの上地川上流部に取水口が設けられて井手が堀削され、急峻山腹に沿って約3.9kmを導水しているこの用水路のことを、地元の人は「京ヶ原井手」、開墾者の名を冠して「清次郎井手」、あるいは通称“きやあばらいで”とも呼んでいました。
上地川の上流部には、川を挟んで南北の山地に何本もの井手が設けられ、かつての開墾の跡をたどることができ、この地域には主なものだけでも6本の井手(京ヶ原・下京ヶ原・ダワホー・菅町・向井手・伊勢路)が残り、そのうち京ヶ原、下京ヶ原、菅町の3本は現在でも使用されています。 |