灰塚ダムができる三町には、縄文、弥生の時代から人が住み生活していたと思われる遺跡が発掘されています。三良坂町内には500基以上の古墳があり、吉舎町には全長約46m、高さ8m、直径70m(周庭帯を含む)もある県下でも有数の三玉大塚古墳が、総領町には、縄文早期の押型文土器が出土したり、縄文後期から晩期にかけての岩屋堂遺跡があります、有史以前から人が暮らし続けた住みやすい場所といえるでしょう。

【三玉大塚古墳】

【岩屋堂遺跡】

8世紀に田総荘とよばれる荘園ができた総領町は、13世紀前半に地頭としてやってきた長井氏が稲草の川平山に城を築き江戸時代直前まで支配していました。吉舎町では、15世紀後半に和智氏が南天山城を築き200年にわたって支配し、神社や仏閣などを残しました。三良坂町は当時の記録に「三良坂一所九日市」とあり、どうやら市が開かれていたようです。どんなものが売られていたのでしょうね。

【川平山城土止】


【南天山城】

尾道からのびる石見路の宿駅であった吉舎町には、伝馬17頭が常に置かれていました。2つの町筋がありかなり賑わっていました。三良坂町は石見路の発達にともない、中心が馬洗川北岸の街道筋に移動、吉舎町と三次市の中間駅として栄えました。 総領町では江戸時代中期に、洪水などで生活の苦しい農民が幕府に、今でいう減税を求めて処刑されるという悲しい事件が起きています。今でも「とんどをせぬ話」(民話)として語り継がれています。

【鬼王塚】

【旛】


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