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立地条件

水源地域の現状

立地環境

 岡山県の北部に位置する鏡野町は、高速 道路等による広域の道路交通ネットワークが形成されており、山陽地方と山陰地方を結ぶルートや近畿地方と米子・松江などの山陰主要都市を結ぶルート等の中継地点に位置し、広域からのアクセス利便性に優れています。一方で、鏡野町域内では東西方向の道路ネットワークが不充分であるために、町域の中央部はアクセス利便性が高いものの、東部、西部はアクセス利便性が低く、町域内で格差が見られる状況となっています。

自然環境

自然条件

 鏡野町は岡山県の北端に位置し、中国山地に連なる緑豊かな森林環境と、里山に包まれた農村集落が創り出す田園風景を特徴としています。特に、町域の北半分には、奥津渓や岩井滝に代表される数々の渓谷や名水、源生の自然が残る泉山や県立自然公園など、岡山県を代表する森林地域の自然環境が豊かに残されています。このような水と緑の自然環境や夏でも冷涼な気候は、森林型観光の貴重な資源であるといえます。

社会環境

 現在の鏡野町は平成17年3月1日に、鏡野町、奥津町、上斎原村、富村の4町村が合併して誕生しました。鏡野町の人口はピーク時の昭和40年から減少に転じ、平成17年度の人口は約14,000人です。特に、昭和60年以降は明確な人口減少傾向を示し、5年ごとに1,000人前後と大幅に減少しました。また、全体に占める老年人口比率が33%と高齢化が進んでいます。少子化やこれに伴う人口の減少、高齢化は、全国的な課題となっていますが、鏡野町においても、今後も高齢化、過疎化が進展すると考えられます。 鏡野町は農林業を基幹産業としてきましたが、産業構造の変化や農林業従事者の高齢化等の問題が顕在化し、近年では温泉や奥津湖、地域の観光資源などと農林業を連携させる観光産業戦略を展開しつつあり、観光と連携した新たな農林業を目指しています。

地域観光

 昭和45年から平成3年頃までは、鏡野町への観光入り込み客数は30万人〜40万人程度であり、そのうち約15~20%程度が奥津温泉に宿泊していましたが、その後、宿泊客は急激に減少し、平成10年頃からは2万人程度に止まっています。一方、平成10年に道の駅と花美人の里が開業以来、日帰り客が増加し、近年では、温泉宿泊を目的とした宿泊滞在型の観光形態から、日帰り行楽、あるいは通過・立ち寄り型の観光形態へと変化しつつあります。 鏡野町は中国山地に連なる森林や渓谷などの豊かな自然に恵まれ、奥津温泉やキャンプ場、恩原高原スキー場、苫田ダム・奥津湖の雄大な景観など、観光資源となる豊富な自然や施設が広く点在しています。このような地域資源を有効に結びつけて、個性豊かな魅力を創出することが求められています。また、地域の観光を考える際には、周辺に立地する集客力のある観光資源・地域との連携と競合回避に配慮した広域的な観光を推進することが求められています。

観光動向

地域活動

 鏡野町には、株式会社やNPOから任意団体まで、様々な組織形態、規模の団体が数多くあり、それぞれに地域の個性に応じた多様な活動に取り組んでいます。 地域づくりの活動、観光振興イベントの実施、地場産業の育成などに関しては、比較的似通った内容の活動を実施している団体も多くあり、現段階でも協力して活動に取り組んでいる例も見られます。今後更に積極的に活動のテーマや活動地域毎に様々な連携・相互協力を行うことが可能と考えられ、組織のネットワーク化などを推進することで各団体活動の活発化を促す可能性が伺えます。

苫田ダム建設事業

事業の概要

苫田ダム

 苫田ダムは、一級河川吉井川水系吉井川の河口から約90km上流の岡山県北部に建設された、岡山県では初めての国土交通省直轄管理の多目的ダムです。 吉井川は、これまでに枕崎台風(昭和20年9月)による未曾有雨の大洪水をはじめ、昭和38年、40年、41年、42年、47年と洪水が続発し、度重なる被害を受けました。特に、平成10年10月の台風10号は、吉井川流域に浸水家屋5,900戸を越える甚大な被害をもたらしました。 その一方、昭和42年、昭和53年、昭和57年、平成6年の小雨による渇水においては既得用水の取水制限が実施されるなど、しばしば深刻な水不足に見舞われました。平成6年の渇水では、吉井川下流部において約60日間にわたり、農業用水・上水道用水・工業用水が最大30〜70%の取水制限を余儀なくされました。 苫田ダムはこのような治水面、利水面の両面を担うことを目的として建設されたものであり、当初、岡山県が昭和28年12月に吉井川総合開発調査に着手し、翌昭和29年に建設省(当時)が事業を引き継ぎました。その後、昭和47年度から実施計画調査に、昭和56年度から建設事業に着手し、平成17年3月に調査着手以来52年の歳月と総事業費2,040億円をかけて完成しました。

貯水池容量配分図

事業の特徴

建設事業に係わる反対運動と地域住民の協力

 苫田ダムの建設は昭和32年に山陽新聞に苫田ダム建設構想の記事が掲載されると同時に、地元でダム建設反対の声が一斉にあがり、地元の住民と自治体:奥津町を巻き込んだ38年間にわたるダム建設反対運動が行われました。 長期にわたるダム反対運動の間に、村・町を挙げての反対運動から、反対と容認で町政を二分する時代を経て、水没者の方々の同意・移転が進むなかダム建設を活かした地域活性化の方向へと徐々に流れが変わり、平成7年3月21日に阻止同盟が立ち入り調査に同意することで、反対運動の歴史に終止符が打たれました。このような長い反対運動のなかで翻弄され水没移転を余儀なくされた方々の多大な協力によって苫田ダムの建設は進められ、13地区の集落、500戸を越える家屋が湖底に沈みました。苫田ダム建設に関しては、地元の地域社会と水没移転された方々に大きな影響と変化をもたらして建設事業を進めてきた経緯があり、その歴史を踏まえることが求められます。

景観・環境に調和したダムづくり

 苫田ダム、奥津湖の周辺においては、ダム建設に際して取り入れられた「グランドデザイン」の考え方に沿って、周辺の自然環境・景観に調和した新たな風景が創出されています。特に、緑豊かで広大な貯水池風景やダム本体、苫田大橋などの大規模土木構造物は眺望の主対象となりうる美しい姿を湖畔に現し、ダム湖周辺では自然豊かな水辺環境を広く利用するための公園的整備も行われています。これまで奥津地域には無かったこのような新たな風景や環境は、地域を訪れた人々にとって新しい地域の顔・魅力であり、美しい景観・環境の適切な保全・管理・活用によって地域の魅力を維持・向上させていくことが必要です。

苫田ダム周辺の様子




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