
放浪の俳人種田山頭火の妻であった佐藤咲野は和田の出身です。和田村のコンニャク農家の長女だった咲野は、20歳の時に、山口県佐波郡西佐波令村(現防府市)の山頭火の元へと嫁ぎました。
その後、山頭火の実家であった造り酒屋が倒産し、咲野と山頭火、息子の3人は熊本へ移住します。しかし咲野が32歳の時に離婚します。そして山頭火は離婚後に上京しますが、一度咲野の元へ戻り、その後僧侶となって各地を転々とし俳句を読む生活を始めたのです。
山頭火の破天荒な人生を支えた咲野は1968年に交通事故により79歳でなくなりました。山頭火と咲野を偲び、和田の住民の手により、咲野の生家のそばに山頭火の句碑を建立しました。