因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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雨滝川からの因幡川そして袋川


@袋川

千代川水系の1級河川。同水系では八東川に次いで2番目に長く、流長28.4kmあります。兵庫県境にそびえる扇ノ山に源を発し、県下最大を誇る雨滝地区の高さ約40mの雨滝から西流して木原・下木原地区で流れを南に向け、栃本地区で大石川を合流し、楠城・拾石と流れ、殿地区で神護川を、下流の源門寺地区で上地川をそれぞれ合流します。松尾地区で北西に大きく流れを変えて新井・山根・神垣・谷・玉鉾・麻生を通過し、南流してきた美歎川と合流したのち、宮下地区や面影山の北、東今在家・大杙の地区を通り抜けます。
昭和9年、大杙の大杙橋から西進して吉成・古市を通り、千代橋のたもとで千代川に注ぐ放水路が完成したため、新河道を「袋川」と呼ぶようになり、大杙を北流し、市街地をうねるように流れて浜坂で千代川と合流する旧河道を「旧袋川」と呼称しましたが、平成18年4月より名称が改められ、新河道が「新袋川」、旧河道が「袋川」へと変更されました。


A袋川の名称由来

『鳥府志』によると、「鳥取の山下にありたる沼沢を埋地となさんとて、川脉を此方へ切込みたる時、数町の間いづれを川脉と云ふことも無く、広き処を流通りしゆへ、袋川の名称は是より起りたる歟。されば今の御城下のあたりにて呼たる名ならん歟と臆察せらるる也」とあるように、屈曲の激しい蛇行河川であることから袋川の名が名付けられたといわれています。特に袋川下流部一帯は軟弱地盤のため浸食が甚だしく、流路の蛇行は千代川水系で最も激しいものでした。


B袋川・九呼称

雨滝川
  雨滝より国府町谷までの、現在の袋川上流は雨滝川と呼ばれている。

国府川
  雨滝川より下流で天神川と合流する矢津(現・立川町)辺りまでの、現在の袋川中流部分の別称。因幡川ともいう。明治の始め頃開校した宮ノ下小学校校歌に見られる。

因幡川
  天神川と合流する矢津(現・立川町)の辺りまでの別称。国府川ともいう。平安時代の歌人・藤原兼輔の和歌や『因幡誌』に見られる。

袋川
  因幡川より下流部分のことを昔は袋川と呼んでいた。明治時代に行政名として指定されて以降は、全川を袋川と呼んでいる。

新袋川
  昭和9年に完成した、大杙から西進して千代川に注ぐ放水路。平成18年より新袋川と名称が変わった。

城川
  鳥取城の堀をなす川として城下付近を呼んでいた。

法美川
  源流から大杙地区あたりまで、法美郡を流れることによる別称。『時範記』(因幡国守平時範の日記。承徳3年(1099)2月26日のくだりに「次至于法美川乗船参三嶋社(法美川から船に乗り三嶋社へ参る)」とある。)

湊川
  『太閤記』(賀露の湊から鳥取城に舟運の使いをもたらす唯一の水路)。

とっとり川
  『信長公記』(織田信長の一代記。著者は信長の家臣・太田牛一)