雨滝川
雨滝より国府町谷までの、現在の袋川上流は雨滝川と呼ばれている。
国府川
雨滝川より下流で天神川と合流する矢津(現・立川町)辺りまでの、現在の袋川中流部分の別称。因幡川ともいう。明治の始め頃開校した宮ノ下小学校校歌に見られる。
因幡川
天神川と合流する矢津(現・立川町)の辺りまでの別称。国府川ともいう。平安時代の歌人・藤原兼輔の和歌や『因幡誌』に見られる。
袋川
因幡川より下流部分のことを昔は袋川と呼んでいた。明治時代に行政名として指定されて以降は、全川を袋川と呼んでいる。
新袋川
昭和9年に完成した、大杙から西進して千代川に注ぐ放水路。平成18年より新袋川と名称が変わった。
城川
鳥取城の堀をなす川として城下付近を呼んでいた。
法美川
源流から大杙地区あたりまで、法美郡を流れることによる別称。『時範記』(因幡国守平時範の日記。承徳3年(1099)2月26日のくだりに「次至于法美川乗船参三嶋社(法美川から船に乗り三嶋社へ参る)」とある。)
湊川
『太閤記』(賀露の湊から鳥取城に舟運の使いをもたらす唯一の水路)。
とっとり川
『信長公記』(織田信長の一代記。著者は信長の家臣・太田牛一)
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