|
JR山陽本線の列車が岡山駅に近づきます。車窓の風景が旭川にさしかかったとき、隣の席の家族づれのなかから、そんな声が聞こえました。小学校五年生くらいの坊や。大好きな列車の旅のなかで、彼は大きな興味を抱いたのです。
岡山平野で人が暮らしはじめたのは、遠く縄文時代(じょうもんじだい)のことでした。中世には、岡山城を守る堀として流路が付け替えられました。その後、城下及び上道郡の水害防御と新田開発を目的として、百間川が築かれました。人の暮らしと川の「つきあい」は次第に濃いものになり、人々の英知が治水や利水に活かされるようになって、旭川は、流域の人々にとってなくてはならない川となっていきました。いま、旭川の流域は1市16町6村。下流域には人口の密集する岡山市があります。私たちの川であり、生きものたちの川でもある旭川のいまの姿を、下流域を中心に治水、利水、環境、管理といった視点から見てみましょう。
|
|
|
|
Copyright (C) 2003 国土交通省 中国地方整備局
岡山河川事務所 Allrights Reserved. |
|
|
|
|
|