津田永忠は、寛永17年(1640)に岡山城下弓之町で生まれ、当時の藩主池田光政に見いだされ、その子綱政の代には藩の地方行財政のトップともいえる「郡代」として、百間川・沖新田・後楽園など大がかりな事業を指揮するなど、一生にわたり岡山藩政に深く関わりました。後々までも岡山に大きな恵みをもたらした業績を讃えた碑が後楽園内に立っています。
津田永忠座像
後楽園
津田永忠遺績の碑(後楽園)