そこで吉川元春は天正9年(1581)正月、石見国福光城主・吉川経安の嫡男、吉川経家を鳥取城の城将に任じ、経家は3月18日に入城しました。直ちに籠城の準備に取りかかりましたが、時すでに遅く、兵糧米の蓄えも不十分のまま、7月には集結した羽柴秀吉の大軍3万余騎に包囲されました。これを迎える鳥取城防衛軍方は、久松山頂上の本丸に城主・吉川経家、山麓の二ノ丸と三ノ丸には中村春続・森下道誉など山名の遺臣が陣を敷き、出城の雁金城に塩冶周防、丸山城には奈佐日本之助、山県九左衛門、佐々木三郎左衛門らを配し、城兵は百姓・町人を合わせて総勢4000名ほどであったと伝えられています。 |