因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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袋川 水害との斗いの歴史


一般に山陰の気候は裏日本型気候といわれていますが、鳥取気象台では、さらにこれを分類し、平地部を山陰型気候区、山間高冷地を中国山地型気候区として、山陽型気候区に対応させています。平地部の山陰型気候は、梅雨期・台風期のほか、冬期も降水量が多く、ことに冬期は県東部ほど、梅雨期は西部ほど多くなっています。中国山地は標高が高いため相対的に気温が低く、降水量は当然のことながら梅雨期や台風期には非常に多く、年間を通じても少ない月がないほどです。 冬期は北西の季節風に乗った湿潤な極寒波が日本海を渡って来襲し、これが中国山地に遮られて大雪をもたらし、陰鬱な日々が続きます。その降雪も北北西の強い寒波では山雪となり、季節風が弱まるにつれて里雪を降らせます。春先には日本海に発生する低気圧の影響でフェーン現象が起きやすく、大火に見舞われることもありました。6月から9月にかけて日本列島を縦断する梅雨前線や大型台風の到来により、千代川流域内のあちこちで局地的な集中豪雨が発生して洪水をもたらします。 藩政時代から鳥取は度重なる洪水に見舞われてきました。長雨が続くと水が溢れ、溢れた雨水は支流から本流へとすさまじい勢いで河口に流れていきます。しかし、屈曲した河口の溜水は流れず逆流し、しばしば大洪水をもたらします。鳥取城下一帯では、袋川の内外とも千代川河口の閉塞に起因する袋川からの逆流に見舞われ、長時間の氾濫と湛水が近代まで繰返されてきました。 鳥取藩は、洪水の度ごとに堤防を改修してきましたが、根本的な治水政策は見当たらず、人々の被った損害ははかり知れないものでした。

洪水の記録を今に伝える本邦随一の古記録 五水記と因溢物語

・因溢物語
・林 甚三郎一代水難之図


藩政・五水記が記す水害の伝言 【五水の概要】

・高麗水
・遷封水
・種稲水
・丁酉水
・乙卯水


藩政・五水記が記す水害の伝言 【五水記に記された恐ろしさ】

・生きるとも死ぬとも二人一緒 〜乙卯水・貞女の鑑“豊”の物語〜
・〜憐れ・三郎左衛門〜  ―遷封水・眼前で幼女を溺死させた憐れ― 
・〜九死に一生を得た数奇な運命の紋六〜
・麗水・洪水位跡
・梶取岩伝説 〜高麗水の浸水位を伝える〜
・賀露明神を生土神とする四郎右衛門
・藤綱が切り破った水溜まりの堤
・十二才の時に若桜橋が落ちたのを見た老女


藩政・五水記が記す水害の伝言 【乙卯水・善政と助け合いの心を伝える 四善政と五つの出来事】

・「池田治道」治世の時代、藩が施した四善政
・助け合いの心・五つの出来事


藩政・五水記が記す水害の伝言 【大地に刻された洪水の記憶】

・地名に残る水越(超)二箇所
・水の水が来たと伝わる三箇所
・洪水にまつわる三伝説
・川に流された二社二仏
・済所・供養塔


藩橋五橋の物語

@藩橋五橋の架け替え
A乙卯水による橋の流失と架け替え事業


洪水に備える先人の知恵

@御用石
A注進制度
B御救船


千代川・袋川の水害 【明治〜大正】

@明治18年(1885)の洪水
A明治26年(1893)の洪水
B大正元年(1912)9月の洪水
C大正7年(1918)9月の洪水
D大正12年(1923)9月の洪水


千代川・袋川の水害 【昭和〜平成】

@昭和9年(1934)の洪水
A昭和34年(1959)の洪水
B昭和36年(1961)の洪水
C昭和51年(1976)の洪水
D昭和54年(1979)の洪水
E平成における主な水害


袋川の水害との斗いの歴史を伝える塚の碑

・千代川改修之碑 安長堤防
・浜坂の溺死海会塔