旭川放水路事業のあゆみ

岡山の三大河川の一つ旭川は、中国山地の朝鍋鷲ヶ山を源流とし、岡山県の中央部を南へ流れる南北に細長い流域を持ち、中流で吉備高原を、下流では岡山平野を形成し、児島湾にそそいでいます。 旭川は流域の各地に豊かな恵みをもたらしてきた一方で、人々は度重なる洪水の被害を受け、その対策に追われてきました。この対策として代表的なものが、江戸時代、1680年ごろに旭川の放水路として築かれた百間川です。岡山城下を守るために築造された百間川は今日でも岡山市街地を洪水から守る重要な役割を果たしています。私たちは江戸時代より続く百間川の機能を未来へ受け継いでいきます。

旭川放水路事業の歴史

宇喜多秀家(1572~1655)が、岡山城築城の際に天然の堀として利用した旭川は不自然な流路となっており、岡山城下は洪水により度々甚大な被害に見舞われていました。

本格的な百間川改修に着手
百間川の役割継承と、沿川における安全確保の両立をめざして、築堤等の本格的な百間川改修に着手しました。

百間川河口の水門建設

百間川河口部の流下能力(排水能力)を向上させ、旭川から百間川への分流量の増加に対応した洪水対策機能の拡大を図りました。

分流部改築

旭川放水事業の最終工程として、分流部改築に着手しました。歴史的遺構である「一の荒手」「二の荒手」等の保存・保全および分流部の豊かな自然環境に配慮しながらの取り組みでした。

百間川のいま

河川空間は、市街地における貴重な自然空間、緑のオープンスペースとして、市民の憩いの場として親しまれています。

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委員会